アカデミックハラスメントに関する一考

ときたま、「●●大教授、アカハラで停職●ヶ月」などというニュースを目にする。

研究業界の生活が長くなると(いや、たとえ短くとも)、アカデミックハラスメント(アカハラ)に関する噂はよく耳にする。

多くのアカハラは PI→博士課程の学生 で行われているのではないかと思う。
だが、そのほとんどは表に出ない。
博士課程の院生がPIと対立することは非常に難しく、アカハラに対して毅然と立ち向かえる院生は稀だ。


なぜならPIは院生の「学位」を握っているからである。
学位が取れなければ、ずっと院生のまま。公募への応募すら出来ず、学費を払い続けなければならない。歳を余計に食えば年齢脚切りに引っかかりやすくなるし、回りからは「学位取るのに何年もかかる無能」の烙印も押されかねない。いいことなんて1つも無い。

「俺に逆らうと、学位をやらんぞ!」
と分かりやすく恫喝するPIはごく限られるだろうが、院生側は万一関係がこじれればPIがそのような卑劣な手段を『合法的かつ穏便に』使えることは良く知っている。
「学位に値する研究」なんてものは恣意的に決まるのだ。PIは同じ分野の専門家、「よくやってはいるが、学位授与には今ひとつ足りない」ことを理論的にこじつけるのなんて簡単である。(もっとも、よく目にするのはその逆のパターン、つまりお粗末な研究で強引に学位を取らせてしまう、であるが)


僕の個人的な予想と僅かながらの経験では、かなりの数のアカハラ教員は、傍目からはそうとわからないことが多いのではないかと思う。(傍目から分かる人は相当ヤヴァい。けれども、それを知りながら博士課程でその人の下に行く人もそうそういない)
すると、PIと対立してる院生は、傍目から見ると「●●先生のトコの困った子」になってしまいかねない。こういう「上司とうまい関係が築けない」という評判は、アカデミアのような狭い世界では就職に影響する、心当たりのある人も多いだろう。誰だって、同じ職場になるなら、人当りの良い好人物がいい。


そういった、「対立することのデメリット」は院生を「絶対に逆らわない子分」に留めておくには十分である。逆らわないことが分かってる相手を「1人の人間として尊重」し続けられないPIがいることはなんら不思議ではない。また、逆らわないことを「信頼関係が出来ている」と取り違えることも、また多いだろう。


そういった、目に見えない絶対的な主従関係が、ほとんどのアカハラの事例の根本にあるのではないか、と考えている。そして、その大部分は表に出ることはない。
アカハラにあった院生のほとんどは、精神を病んで消えてしまうか、心に澱を溜めながらも表面上は従順な子分のまま学位を取得して出て行く。
「学位」という鎖は卒業と共に取れるが、「アカデミアでの評判」という鎖が取れる日はさらに遠い。
「もし、アカデミアを去ることになったなら・・・」とかつての PIに積年の恨みを返してやろうと考えているポスドクは、案外あなたのすぐ近くにもいるかもしれない。



僕のパソコンの中にだって、今も「アカデミアを諦めたならば」というフォルダが眠っている。






ふと、心を冷たいものがよぎった、PIのあなた。
今日くらいは、自分の博士院生への接し方、少しばかり省みてもいいのではないだろうか?