精神衛生管理に関連した昔話(前編)

心のうちを吐露するだけのこのブログなのだが、突然急激にアクセス数が増えた。何かと思えばTwitterで言及されたらしい。この異常な増え方から察するに、大勢の方の目に触れる場所に上がったのだろう。こんな駄文を読んでも糧にはなるまいが、一握の共感でも得られれば甲斐があるというものである。

どうやら言及されたのは精神衛生管理についてのエントリーのようだ。
やはり僕と同じように思っている方も多いようだ。

              • -

どうやって精神衛生を管理するかも近々述べたいが、
まずは僕が精神衛生管理を重視するようになったことに関連して、少しだけ昔話をしようと思う。



あれはもう○○年前になるが、僕は修士から新しいラボに移った。
卒論研究で真似事程度には実験をしていたとは言え、新しいラボ(それも知名度はそれまでの弱小ラボとは比べ物にならない)でのスタートに際して不安が多いのは当然であった。
だが、当時の僕は燃えていた。がむしゃらにやってやる、データも論文もたくさん出して、アカデミアで輝くんだ! と青臭い希望に満ち溢れていた。不安を抱えつつも、希望も自信もあった。

PIから貰ったテーマもラボの主流のど真ん中。
「期待されている」と喜び、僕は若さに任せて4月からフルスロットルで実験した。


データは出た。今思い返しても、(もちろん「運」もあったが)M1としてはなかなかの実験量&データ量だったと思う。
だが、PIがそれを褒めることはなかった。
別に褒められるために研究をやっているつもりは無かったが、外様院生であった僕には、早く認めて欲しいという願望があったのも否めない。だが、ついぞ彼の口から「よくやった」という言葉を聞くことは無かった。逆に、失敗やミスは「そんなに大事か?」と内心思うほどに叱られたし罵倒された。

今思えば、そのPIは「褒める」ことが苦手だったのだろう。そういうPIはその後も幾人も目にしてきた。
また、叱咤することで人を育てることをポリシーとするPIもまた多い。今なら、そういう客観的な解析が出来る。だが、修士に入ったばかりの僕には、それが出来なかった。

やれどもやれども、PIの口から出るのは折角出したデータに対する批判や落ち度の指摘。
時折しなければならない失敗の報告には、「実験センスがない」「試薬が無駄」「頭、付いてるのか?」と言った罵倒。そういうことが繰り返され、冬が訪れる頃にはMy independence はvanish in the hazeである。「もっと頑張らなければ」という自分へのプレッシャーが日増しに増大していった。

段々と、寝付けない夜が増える中、ある朝、僕は盛大に寝坊してしまった。
コアタイムとして定められた出ラボ時間を優に数時間超過する寝坊であった。
「早くラボに行かなければ!」と思ったが、すぐに「もういいよ」という気持ちが湧き上がり、再び布団を被ってしまった。仮病でも使えば良かったのかもしれないが、電話に手を伸ばすことすら躊躇われた。
結局その日は終日部屋から出ることは無かった。

初めて無断でラボを休んだ翌日、PIに電話で呼び出された。電話口でも十分に伝わる怒りようであった。
重い足取りでラボに向かい、予想通りの叱責を受けた。いや、叱責と言うよりただの罵詈雑言に近いものだった。虫の居所が悪かったと後に同僚から聞いたが、ともかく酷い怒りようで、寝坊は精神の弛みと言ったお決まりのセリフから始まり、過去の失敗はもちろん、顔の造型に至るまで罵倒された。その日のその後の記憶はあまりない。ただ、帰ってから1人、部屋で泣きに泣いたことだけを鮮明に覚えている。

僕にとって幸運だったのは、翌日が休日であったことだった。
日が傾き始めるような時間にやっとのことで起き出し、ふらふらっと昼食だかなんだか分からない食事をしに外に出た。
そのときたまたま目にしたのが商店街の並びにあった「メンタルクリニック」の文字。
普段の僕なら絶対に考えられないが、予約もしていないそのクリニックに吸い込まれるように入ってしまった。いや、「入ってしまった」のではなく「幸運にも入ることが出来た」と言っていい。


もし、あの日、あのクリニックに入らなかったとしたら、僕は音信不通組になっていたに違いない。

(後編、「鬱を患いながらの研究生活編」へ続く)