精神衛生管理に関連した昔話(後編)

精神衛生管理に関連した昔話(前編)


こうして、精神を病んでしまった僕であったが、幸いにも「まだ動けるうちに」メンタルクリニックに行く事が出来た。そのためこの人生で最も辛い2日間を乗り切ることが出来た。また、その後も定期的に心療を行うことで(大小の波はあるにしろ)なんとか鬱をコントロールしながら研究生活を送ることが出来た。その経験談というか、ちょっとしたコツを少しばかりだが、書き連ねてみようと思う。

(なお余談だが、上記の「まだ動けるうちに」というのはどういうことかというと、健康な方はにわかに信じがたいだろうが、鬱が悪化してくると、本当にまともに動くことさえ満足に出来なくなる。「家の目の前のポストまで郵便を出しに行くことさえ出来なくなるんだぜ?」という同じく鬱を患った友人の話は決して誇張された表現ではない。)

1.理解者を作る

残念ながら、当時のPIは「鬱」に対して全く正しい知識は持っていないことは、それまでの研究生活で十分に分かっていた。「『鬱』などと言う学生は、うちの研究室には要らない」と言葉に出していたこともある。そのため、彼に「鬱になりました」などと打ち明けようものならば状況を悪化させることは間違いなかった。また、アカデミアの中では「鬱を患った院生」が腫れ物扱いされる例は既にいくつか知っていたし、将来を考えると「鬱を患っている(た)PD」など、誰も雇いたくないであろうことは容易に想像できた。 未だ、アカデミアに留まることを望んでいた僕にとって、「鬱であること」は隠さなければならないことだった。(恐らく多くの院生が鬱の悪化を止められないのは、このアカデミア、いや、日本全体の鬱に対する見かたが影響していると思う)こんな理不尽な事があろうか。

唯一、僕にとって救いだったのが、当時研究室に在籍していたあるPDの存在だった。慧眼で鳴らす彼は早い段階で僕が精神の安定を失ったことを見抜き、事あるごとに親身に相談にも乗ってくれたし、泣き言も聞いてくれた。「鬱は脳内生理物質の制御不全の問題。お前は悪くない。誰にでも起こりうることだし、しかたないことなんだ。気合やらヤル気やら根性どうこうなるものじゃない。そういう時は無理しないで休むんだ。」と機械的ながらも優しさに溢れた言葉をかけてくれた。

院生/PDが鬱を患った場合、僕にとっての彼のような、「理解者」を見つけることが非常に重要だと思われる。それも、なるべく身近なところに、だ。研究室内はもちろん、同期の友人、または家族でもいい。どれも難しければメンタルクリニックで定期的にカウンセリングを受けるのでも十分だ。とにかく、現在の自分の状況を「肯定的に理解」してくれる人間を見つけるのだ。これは、鬱が悪化してからでは難しい(鬱にかかると、自分から何かの行動を起こすことは著しく困難になる)。普段から、このような「気心知れている友人」や「相談できる相手」を作っておく事は、鬱のリスク管理を行ううえでも非常に重要である。

2.タスクを溜めない

鬱の大きな特徴として、気分の停滞による作業速度の著しい低下、が挙げられる。
研究生活の間は、実験スケジュールに追われ、学会発表やセミナー準備に追われ、絶え間なく通知される新着論文アラートに追われ、上司から振ってくる雑用に追われる毎日である。もたもたしているとTo doリストはあっという間に増えていき、焦燥感が募る。たまったタスクは精神に悪影響しか与えない。
気分の停滞を感じているときは、自らに課すタスクを減らさなければならない。減らせるタスクは可能な限り減らそう。足踏みを恐れることはない。一度鬱が悪化すると数年単位での停滞を余儀なくされかねない。無理をしないことも、また重要なことである。
また、焦燥感でパニックに陥ったときには、紙にやることを書き出してみることもまた、精神の安定には有効でもある。書き出すことである程度落ち着きを取り戻せるケースは少なくない。また、僕は現在の精神は比較的安定しているが、スケジュールは常に余裕を持たせて組む。いつ何時「波」が襲ってくるか分からないからだ。

3. 逃げ道があることを知る

一度転んだらオシマイ、と言われがちな日本社会。特に博士課程になったらアカデミアで生き残るしか道がない、などと言われたりもするが、もちろんそれは誇張された表現である。20代の院生ならば各種公務員試験を受けて公務員という道もあるし、民間就職も分野によっては十分にある。各種大学・研究所では結構な頻度でテクニシャンの募集も出る。万一転進してフリーターになったとしても、院生/PDは一般人よりはるかに高い学力という武器がある。バイトの選択肢の幅は他のフリーターよりも広い。すぐさま食べて行くのに困窮する、ということはそうそうない。「アカデミアに残らなければ死ぬしかない」と極端に考えず、「なるようになるさ」と楽観的に考えることも重要である。



僕は、例の一件以降、こういったことを考えつつ、「鬱の悪化の阻止」を第一に考える研究生活を送った。無理はしない、出来ないからと自分を責めない、常に「堅い(面白くはないがデータが出て論文にはなる公算は高い)」テーマを中心に研究を進めた。出たデータをすぐにすべてPIに見せることはやめ、停滞期用にデータの「貯金」をした(停滞期でも貯金データを小出しに見せることで、あたかも実験は順調に進んでいるように見せることが出来る)。 恐らくこれでは「一流」になるのは難しいだろう。実際輝かしい業績や経歴を残している訳ではないし、現にパーマネント職にはまだ付いていない。かつて目指した研究者像と今の自分には大きな隔たりもある。だが、職にはまだあぶれたことはなく、精神を崩壊させてしまうこともなくなんとかやっている。

心が健康な人間は、この姿勢を批判するだろう。修士に入った頃の僕もそうだった。鬱なんて怠け者が使う言い訳か、意識が低い研究者がかかるものだと思っていた。「ちょっとヤル気が起きなくて・・・」という言い訳の意味なんて理解できなかった。

そう、こういう姿勢はアカデミアでは、(いや現代日本では、と言い換えてもいい)なかなか認められない姿勢である。常にフルパワーで実験し、論文に打ち込むことこそが研究者の理想型であり、一流に向かい努力することこそが唯一の正解だと説かれる。だからこそ、著名人のカッコいい言葉がもてはやされるのだろう。
もちろん、それが出来る間はそれを目指したらいい。だが、長い研究人生、どこかで停滞期が訪れる。そのとき自分の中に存在する「理想像」と現在の自分とのギャップに耐えられなくなるときが来るかもしれない。そのときには、悩むことなくペースダウンしたらいい。「理想像」に縛られ、すべてを棒に振ってしまうことほど本末転倒なこともない。