自慢話のリスク

PD生活も長くなれば、同僚に「自慢屋」がいた経験も豊富になるし、学会での知り合いが増えれば否が応でも「自慢屋」に出くわす。僕は性格が原因か、立場が原因かわからないが(両方なのではないかと予想している)、自慢話を聞く機会がとても多い。

自慢話を拝聴した豊富な経験から、僕はある仮説を立てている。
それは「自慢屋にはかなりの割合で『実はショボい奴』が含まれる」と言うものだ。
今のところ、例外もあるにせよ、この予想はある程度データに裏付けられている。

「ショボい」という指標は、一般社会であれば客観的判断がなかなか難しいが、研究業界にいると、悲しいかな、個々人の「凄さ&ショボさ」は持っている業績(つまり出した論文の質と数)で客観的な評価が比較的容易に出来てしまう。


表向きは従順なイエスマンで通っている僕だが、学会で出会ったいけ好かない自慢屋達の業績を調べてみたりする位には意地の悪さも持っている。
すると、「ラボではPIの右腕」だとか「うちの研究室で学生の面倒見れるのは俺くらいだから」とか「週に80時間は研究者のボーダーでしょ?(←果たしてこれは自慢か?)」とか懇親会で言ってたPDに限って、持ってる業績はたいしたこと無かったりする。

それを知ってしまうと、次回自慢話をされた際には、「と、業績もないPDが申しております」というアナウンスが勝手に頭の中で自動再生されてしまう。

これ、自分を自慢屋の立場に置き換えることを想像すると、絶対に自分は自慢話などするまい、と思ってしまう。そもそも、「真に自慢するべき事」が起こったときは、周りが自ずから話題に上げてくれるし祝福してくれる。

わざわざ自慢話で自分の株を下げたりせずに、謙虚に謙虚に行こうではないか。





ちなみにこの「自慢屋=実はショボい奴 仮説」は、「自慢屋」の部分を「知識ひけらかし屋」「他人(特に目下)叩き屋」に入れ替えても結構成立する。
さらにこの逆である「謙虚な奴ほど業績すごい仮説」も、これもまたよく当てはまる。

これは研究業界に限らないことかもしれないが。