問題点は複数ある

いよいよエンターテイメント化してきた例のSTAP騒動だが、本当にこの問題はいろいろな問題が絡み合って生じている。一義的に「誰々が悪い!」と断じるのは少し難しい。
個人的に主な問題は4つだと思う。

1)データの捏造に対する責任
本人は「悪意がなかった」などと意味不明なことを言っているようだが、ここまで大量の訂正を要するような間違い、単純な取り違えでは説明がつかないだろう。業界人なら誰一人として彼女の言い分など信じない。単純に捏造・改竄などの不正をしたと考えるのが妥当だろう。ノートによる記録もないし、正当性を証明できないならば、なおさらである。
データの不正に関してはどう考えてもオボカタさんが最も悪い。

2)論文に対する共著者としての責任
論文に名を連ねている以上、内容には一定の責任を持たなければいけない。当然、共著論文での不正が明らかになったならば、何らかの処分があってしかるべきだろう。もっとも、論文は「良心」を前提に成り立つものなので、データのねつ造を見抜くのは正直難しかったと思われるし、科学コミュニティにおいての信用はガタ落ちなのである程度の社会的罰は受けているとも考えられるが。

3)雇用者としての上司の責任
3年間も同じラボで過ごせば、その人の研究能力はだいたい分かる。実験をどのくらいやっているのか、どういうデータをどういう方法で出しているのかはわかる。直属の上司がそれを知らなかった、というのは苦しすぎる言い訳である。週刊誌で報じられるような不適切な関係を疑われても仕方がないし、そういう裏事情がなければ合理的説明を見出す方が難しい。
どのような事情にしろ、「未熟な研究者」と断罪されるようなペーペーを3年間もユニットリーダーに据えた上司がお咎めなしというのは許されない。そのポストを心底欲していたであろう誠実で優秀な若手達にどう顔向けするというのか。

4)組織としての理研の責任
独立したPIであるオボカタ氏が行った捏造そのものには理研の責任はほぼないと言える。「教育が不十分」という指摘もあるだろうが、理研は教育組織ではないし、教育的役割を持つのは上司にあたるグループリーダーだろう。
理研という組織の非を問うとすると、当初の「内容に揺るぎはない」という無責任な(そして誤った)見解を出したこと、彼女を(もしかしたら不適切な理由で)抜擢したことへの責任を負うべき上司の処分について全く消極的であること、問題のさらなる拡大を恐れるあまり不正の有無に関する調査には消極的であることなどだろう。


なお、STAPとは直接の関係はないが、博士論文でのコピペの件は、むしろ指導を疎かにした指導教官と、杜撰な審査で論文を通してしまった大学側の責任が大きい。


周りのポスドク仲間や院生達は「(怒りや失望を通り越して)すでに面白くなってきた」という意見が大勢を占めてきた。

茶化したり蔑んだりすることは簡単だが、冷静に考えればアカデミアの膿を摘出するいい機会でもある。一般の方々とは違う目線で、将来のアカデミアにとって建設的な変化を起こすターニングポイントとなるようなイベントだと捉えたいところである。