学振を申請しない合理的な理由など存在しない

年が明けると瞬く間に時間は過ぎ去っていく。この季節、「学振申請まであと○○ヶ月か」と考える方も多いのではないだろうか。

「学振、どこに出すの?」と言うのは年度末に行われる学会にて、それぞれの年齢層で決まって切り出される質問の1つである。
新M2/D学生ならばDC、D3や若年PDは「PD」か「海外」それぞれターゲットは違えど、一様に「受かりたい!」という思いは同じに違いない。

毎月の(正確には違うが、実質上の)給与と、それなりの額の研究費。そして2or3年という自由なテーマで研究を行える時間。どれをとっても、D学生/PDにとっては魅力的この上ない。

ところが、毎年一定の確率で聞く言葉がある。

「今年は学振出さないんだ」。

これである。

僕は個人的にこの言葉を吐いていいのは、極例外的な立場にいる人々だけでだと思っている。Dに進学する意思を持つM2、最終年度を迎えるD3、単年度契約/無給 のPD、、、それらの人々は、絶対に学振は申請しないといけない。

「なんで出さないの?」

この質問に対する答えは様々だが、僕は今までに合理的な答えを聞いたことがない。

                                                                                                                                          • -

もっとも良く聞く言葉の一つに、「受かりそうにないから」というのがある。

受かりそうになくたって、申請するメリットは幾らでもある。
もっとも大きいメリットは、合否通知の際、不合格者には採点スコアが開示されること。自分が書いた申請書に対する評価(それもデジタルな評価)を項目ごとに受けられる機会なんて滅多に無いことである。
たとえ落ちたとしても、自分の申請書のどこが悪かったかが分かる。計画の点が低ければ計画を練り直す必要があるし、業績点が悪ければまずは論文を書いて業績を積むのが大事だ。つまり、次の1年で自分が何をすべきで、どこを改善すべきかが分かる。翌年、申請書を書くのにどこが悪いか(足りていないか)を分かって書くのと分からないで書くのとではどちらがいいかなど、考えるまでもない。もしあなたがどっちが良いかがわからない人間ならば、研究なんぞやめてしまえ。
また、採用者の数は申請者の母数によって決まるので、申請者が増えることで採用者の数が増える。つまり、自分が申請することによって今年の採用枠が増え、来年のライバルが1人減るかも知れないのだ。

こういうことを言うと、「でも、申請書書くのに時間もかかるし・・・」と食い下がる人もいる。どうしても「出さない」という自分の選択肢が正しいと思いたいのだろうが、僕はこう言いたい。

「でも、どうせ来年書くんでしょ?今、書いておけば来年ラクじゃん?」

申請書の内訳は「これまでの研究」「これからの研究計画」「業績」である。
これらの事項は遅かれ早かれ書類にまとめなければいけない局面が多々ある。
助成金申請、各種常勤/非常勤/PDポストへの応募書類など、どの書類でも決まって問われるのはこの3つと言ってもいい。どうせ書かねばならないものなんだから、学振申請書を作るのに合わせて準備すればいいじゃないか。

学振申請をするのは若くてもM2、2−3年研究をやっていて「これまでの研究」を全く書けず、D進学するのに次の「研究計画」が思い浮かばない。それはヤヴァイ。進路を考え直すことを激しく奨める。
M2でも、ある程度真面目に取り組んできたならば、(完成度を度外視すれば)数日で申請書はできるはずである。その申請書で、どのようなスコアが出るのかが重要である。「やはり、これではダメだった」という事実を知れるだけでも大きい。また、今の業績で評価点がどの程度かを知るだけでも十分である。

それを理解してもなお、準備に費やすその数日を惜しむほど忙しいのならば、それは時間の使い方を見直した方がいい。どうせ翌年も忙しさを理由に機を逸する。

もちろんPD申請をする人々が「これまでの研究」を全く書けず、次の「研究計画」が思い浮かばないようなら、そのヤヴァさ 山の如しである。

                                                                                                                                          • -

もう1つ良く聞くのが「いい受入れ研究室を知らない」

これは主にD3になる学生がPD申請を躊躇うときに放つセリフである。
だが、D3といえば。もう「いい年」である。5年間研究をしてて、自分の所属ラボ以外の研究室との繋がりが全くなく、他ラボの教官を知らないなどということはほとんど起こらない。また、直接の知り合いじゃなくても、関連分野で論文を出している研究室の1つや2つ、心当たりがあるだろう。
学振PDは、受け入れる側にリスク/コストはほとんど存在しない。給与と研究費を持った(ある程度有能さを保証された)PDが自分のラボに来てくれるのだから、ほとんどのラボは受け入れに対して喜んで快諾してくれる。まずは先方ラボの先生にメールを打ってみよう。もしも受け入れを断られたら、それは何か先方に事情があるか、あなたのメールの文章に問題があるかだ。また、人格に問題がある場合も考えられるので、胸に手を当てて言動/行動を振りかえってみよう。

もしも本当に「全く知らない」という事態があるとしたら、あなたは自分の研究分野について致命的に疎い。5年間研究やって、そんな状況なら未来はない。さっさと別な道を考えたらいい。

                                                                                                                                          • -

「んー、まぁ、ほら色々あって・・・」

これが許されるのは、次のポストに内々定しているハッピーな人々のみである。
まだ開示できないけど、実はポストが決まっている。という状況は結構ある。相手の業績/年齢がそれなりの場合、質問者は暗黙のうちに察してあげよう。だいたい、そういう人々はドヤ顔でこのセリフを吐くので一発でわかるはずだ。

だが、多くの場合こうやって言葉を濁すのはそんなハッピーな人々ではない。
申請した方がいいのは知っているけど、「不合格」通知を受けて現実を突きつけられることを恐れる人々だ。だいたいこういう人は少し目を伏せてこのセリフを吐く。

同僚や同期が内定通知を受ける中、不合格を通知されるのは辛いかも知れない。が、それは申請書を出さなかったとしても同じ。どんなに受かる見込みが低くても、出さなければ絶対に受からない。出せるなら出そう。現実を突きつけられることを恐れて、本来得られるはずの「メリットを捨ててしまうなんて実にもったいない。

そして忘れてはならないことは、学振に受かることがゴールではないこと。
だが、ほとんどの場合、学振に受かることは個々人にとってマイナスに働くことはない。経済的支援と自由な研究環境を得る機会、もう一度言う、とりあえず出そうよ。


最後に、最初にあげた言葉を吐いてもいい例外ケースを挙げてみると、、、

1.既に内々に次のポストが決まっている人
2.複数年契約期間中のPD
3.研究業界を離れる人
4.精神を病みつつあり、重課タスクを減らすべき人

1については既に述べた。いつか自分もドヤ顔できるように頑張ろう。
2については、申請前に現所属のボスと相談しよう。ある程度の仕事を任されている中、契約期間途中にも関わらず「学振に受かったから」と移動してしまうと色々なトラブルを招きやすい。
3については言うまでもない。もう学振の締め切りまでにどれだけ論文が出せるかを考えながら眠りに付く生活とはオサラバだ。

4については一言があるので、いずれ詳しくエントリーにて述べたい。精神衛生の管理こそD〜PDに最も必要であり、かつ疎かにされがちなことの1つである