正しくやっている人は、正しく評価される。

先日、京都大学白眉センターの公募結果発表があった。

以前このブログでも言及したバッタ博士こと前野博士が採用されている。
オンリーワンPDである彼が、こうして評価され、収入も地位もある職につくのを見ると、まだまだこの国のアカデミアは「正しくやっている人を正しく評価する」ことが出来るのだな、と安心する。

時をほぼ同じくして、この時期恒例の学振発表もあった。
僕のところにも、申請書を添削させていただいた後輩や(元)同僚達から結果報告がちらほら寄せられた。やはり、ここでも受かるべく人は受かり、そうでない人はまた来年へと回されている印象である。回りの研究室を見渡しても、大方傾向は同じだ。


PD暮らしが長くなれば、色々と業界の良くない面を目にする機会は多くなる。
業績も人柄も申し分ない人物が、常に評価される訳ではないことも残念ながら知ってしまった。

しかし、だからと言ってそうそう捨てたものではない。
ちゃんと業績を積み、真摯に研究を行っている人間を評価してくれるところは依然として沢山あるし、もちろん多数派である(と信じたい)。学振なんてその最たる例だ。白眉の結果だって各々の分野人からすれば当然の結果なのだろう。


公募に落ちるたび、学振に「不採用」を突きつけられるたびに、「やっぱりコネが〜」「やっぱり出身校が〜」「審査員が理解できなかったから〜」などと、何か別のもののせいにして嘆きたくなる気持ちもわかる。「学振通らない方が自由でよい」などと、強がってみたい気持ちもわかる。

だが、あなたがそう言っている間に、業績を上積みし、申請書を練り直している、競争相手がいることも忘れてはならない。結果から目をそむけたりせず、やるべきことを真面目にやろう。





・・・そう、すべて自分に言っている。
(久々に面接まで進んだ公募で敗れた2013年秋)