学振の添削に関する所感

学振申請のこの季節。
今でこそしがないPDをやっている僕も、かつては各種学振の恩恵に預かっていたこともある。申請書作成にはそこそこのノウハウを持っている。
(逆に今こうやってパッとしないPDをやっているという事は、僕にあったのはノウハウだけで実力ではなかった、という証左にもなりうる。いや、むしろそうだろう。あぁ。)

毎年1-2人から添削を頼まれる。
同分野の同僚に聞くところによると、同じラボでもないのに添削を依頼されるなんて珍しいそうだ。何がその理由かは分からないが、その1つは恐らく、決してプライドも気持ちも傷つけることがないやわらかい言葉で添削するからだろう(僕は、激しい言葉で罵倒のような添削するスタイルをとる人間にはなりたくないと思っている。キツい言葉の怖さを知っているからだ)。

学振書類に限らず、何かを添削する際に気をつけていることがあるのでちょっと書き連ねてみようと思う。

1.必ず「褒める」

さすがにDC1の申請書草稿などでは、いわゆる「まっかっか」状態にせざるを得ないこともある。しかし、すべてがどうしようもなく救いようのない申請書というのもまた滅多に存在しない。そのため、添削コメントには、必ず「ここは良い」「この説明はわかりやすい」「この図は効果的」などポジティブな言葉も並ぶ。「どこが悪いか」を指摘する事は重要だが、それと同じくらい「どこが良いか」を指摘する事は重要だと思っている。

2.罵倒するような言葉は絶対に使わない

ワードの変更履歴/コメントを削除せず送られてきた申請書ファイルは、他人のコメントを読む機会を与えてくれる。驚くべきことではないが、「バカ」だの「アホ」だのと言った言葉がコメント欄に並ぶファイルを目にすることもある。そういう言葉を書く人間は受け取り手がどういう心境でそれを読むのか想像しないのだろうか。口頭で行われる会話とは異なり、書かれた言葉は、いつ、どのような心境で読まれるかが分からないのだ。また、そのような罵倒が建設的な修正に寄与するとはとても思えない。

3.何故か、を説明する

「この文章は意味不明」というような添削文章は誰しもが目にしたことがあるはずだ。僕はこれにプラスして「何故意味不明なのか」を書き加えることにしている。「文章中の『この』が指す言葉がなんだか分からないため、2通りの意味に取れる」とか「逆接に逆接が続いているため、どっちが自分の主張なのか分からない」とか「この主語に対する述語が存在しない」というように具体的な指摘をすることが多い。

これらは僕の自己満足に過ぎないのかもしれない。
僕が「こういう風に添削されたい」と思っているものを体現しようとしているに過ぎないかも知れない。

でも、「自分がされて嬉しいこと」を、関係性が薄い人間や、立場が低い者にも出来るというのは美徳であると信じているし、そういうPIになりたいものである。
(最もPIになれるかどうかは別問題である、、、が)