ダメ、絶対

今月頭に世間の話題をさらったSTAP細胞が、早くも疑惑に揺れているようだ。
参考: 理研が調査を開始(毎日新聞)

僕個人としては、STAP細胞の作製自体が捏造ということはないだろうと思っている。
この分野の注目度と研究者の数を考えれば、すぐに数多の研究者がこの細胞に飛びつき、世界中のラボで追試がなされる。万一捏造だったとしたら、あっという間に捏造がバレるのは想像に難くない。さすがにそんなリスクは犯さないだろう。1つのラボ内で閉鎖的に行われる研究では、上司(つまりPI)からの圧力で捏造や不正を見てみぬ振りをせざるを得ないという状況は耳にすることもあるが、このSTAP細胞のようにラボをまたいだ共同研究ならその可能性も低いのではないだろうか。
現在、追試が成功しないと言われているが、やがて「うちでは出来てるよ」という声が聞かれるのではないかと思っている。経験のある方には言うまでもないことだと思うが、初めてやる実験はプロトコル通りにやってもなかなか上手く行かないものである。初めてやったウェスタンやノーザンで一発OKが出るほど綺麗なバンドを出せた例を僕は知らない。単純作業に見える細胞培養にだってマテメソに書かれない「コツ」は無数に存在する。すぐに追試が上手く行かないというのは予想の範囲内ではある。まだまだ判断を下すのは早いだろう。

しかし、しかしである。
同時に指摘されているバンドと写真の使いまわし疑惑はいただけない。この使い回しが事実であれば(そして指摘サイトの画像を見る限り僕には使い回しに見える)、それは紛れもない不正である。故意でやったのならば、例え論文の本筋は正しいとしても厳しい処分が下されるべきである。なお、全く異なる実験のバンド画像を別な論文のFigureに入れたことを「過失」というのはかなりの無理がある。まして写真の方の使い回しが事実ならば、明確な意思を持って加工しない限りこうはならない。いったいどういうことなのか、著者たちに説明責任があるだろう。

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ついでなので、この業界に暗い影を落とす「捏造」に付いて少しばかり思うところを書こうかと思う。

業界人には当たり前のことだと思うが、いわゆる「バンド」の捏造や不正操作は実は技術的には簡単に行うことが出来る。最も単純なのは画像編集ソフトでバンド写真の当該部位をコピーするというものである。反転やコントラスト調整、縦横比の変更もし放題である。論文用の図を作成する際に、画像編集ソフトを用いてバンド部分だけを切り取って並べるというのは極々普通の作業であり、論文のFigureを作ったことがある人なら誰しもがその技術を持っている。つまり、誰でも画像の切り貼りにより簡単に理想的なFigureを作ることは技術的に可能だ。もう少し手間をかけるなら、異なる量のPCR産物やタンパクを泳動することでサンプル間に発現量に差があるように装ったりすることも技術的にはなんら難しいことではない。写真のコピペは露見しやすいが、流すサンプルに細工がなされてしまうと見破るのはほとんど不可能だろう。
バンド以外のデータだって、サンプル数を水増ししたり、データの値を都合よく書き換えるというのはExcel上で値をいじるだけである。さらに悪質に行うなら、実験ノートに手書きで記録する段階で「脳内で理想的に」改変されたデータを書き込めばよい。顕微鏡下で細胞を数えるようなデータの場合、全てのデータに対して写真を撮らない場合もある。カウント数を記録する段階で悪意を持って改竄が行われた場合、他人どころか、共著者でもそれを見抜くのは困難を極めるだろう。

つまり、普通に研究遂行能力がある研究者(院生含む)にとって、実験データの捏造/改竄という不正は実は技術的には簡単に出来ることであるし、みんながそれを知っている。もちろん「簡単に出来るから」といって、ほとんどの研究者はそのような不正に手を染めたりはしない。研究者・科学者としての良心を守っている人がほとんどだ。

だが一方で、自分からそう遠くないところに存在する黒い噂を耳にした経験もあるだろうし、毎月のように捏造・データ改ざんのニュースが耳に入る。

だからこそ研究者は「信頼」が最も大事だと僕は思っている。「お前の取ったデータは信用できない」と言われるのは研究者にとってこれ以上ない侮辱だと僕は思うし、その原因が自分の行いにあるのなら実に嘆かわしいことだ。自分の口で「僕/私は捏造や改竄を行います」という研究者などいない。誰もが「そんなこと絶対にやりません」という。そんなとき、モノをいうのはその人の人柄や日頃の態度だ。研究関係ではもちろん、日常生活でもだ。嘘をつかない。約束は守る。間違いを指摘されれば素直に認め改善に努める。無理な自己正当化をしない。地道な作業をしっかりやる。面倒でもしっかり手間をかける。そういう研究以外の生活における態度もその人のデータの信頼性を裏打ちすると僕は考えているし、なるべくそう振舞うよう心がけている。

また、捏造により導き出された結論は、やがて自分自身に最も不利益をもたらすと僕は信じている。多くの同業者がいる分野/テーマならば、追試が行われることで不正は白日の下に晒され、その人の研究人生は終わってしまうだろうし、追試を行うような同業者がいない場合、誤ったデータ、誤った結論は、いつか必ずその分野にいる自分の首を絞めることになる。嘘を前提とした実験ではまともな結論は得られない。どこかに矛盾が生ずる。そうやって嘘を重ね塗りしていけば、やがて他人が気付く。研究の世界は狭いのだ。

そして、人柄がデータを裏打ちするのと同様に、データは人柄を裏打ちする。データに不正が見つかったならば(たとえ世間に公表される前、ラボ内でだけのことだったとしても)その人の人格まで否定される。


ダメ、絶対。