「そんなことも知らないのか」 に関する矜持

理不尽な叱責についての話をしようと思う。

研究室における良くある叱責セリフの1つに「お前、そんなことも知らないのか?」というものがある。
「そんなこと」というのは発言主にとっては常識的とも言えることで、当然同じ研究室に所属するものなら知っていて欲しいと思っている事柄である。

このセリフを使いたくなる場面は多々ある。
だが、そのセリフを口にする前に少し考えてみてほしい。


本当に、「彼/彼女 はこのことを知っていて然るべき」なのだろうか?、と。


そのような自問自答のワンクッションを置いてもなお、そのセリフがふさわしいと思うなら遠慮なくそう口に出してみたらいい。あなたが真っ当ならば、彼/彼女 は「確かに知っておくべきだった」と反省してくれるかもしれない。


ただ、そうではないケースも存在する。

筆者の体験だが、あれはラボに入って初めてPCRをやったときだったと思う。
2つ上の先輩に試薬の場所を教えてもらい、「試薬は使う前にボルテックスでよく混ぜること」という彼の指示通り、彼が見てる横で順々に試薬を混ぜていく。初めての実験で緊張しつつもきちんと手順をこなしていき、Taq(酵素)も同じようにボルテックスしてよく混ぜようとしたときに、「おい!」という先輩の大声がカットインしてきた。

「酵素をボルテックスしたらダメだろ!そんなことも知らねーのか」

恐らく、これが筆者が研究室で初めて言われた「そんなことも知らないのか」だったと記憶している。
そりゃ、酵素をボルテックスしてはいけない、というのは今の筆者にとっては常識である(失活の恐れがあるのだ)。が、研究室配属間もない学生であった筆者はそんなこと知らなかった。

「そんなこと、教えてもらわないとわからない」と思いつつも、気弱・従順・非反抗を是とする筆者は、心中とは裏腹に「申し訳ありません」と済まなそうな顔で言ったのをよく覚えている。そのときの先輩のしたり顔(最近はドヤ顔というようだが)も良く覚えている。

その後、研究室生活ではいくつもの「そんなことも知らないのか」に遭遇した。
発言の相手は様々であったが、やはりPIが多かっただろうか。

その中には確かに自分の勉強不足を恥じるべき性質のものも含まれていたが、それと同等かそれ以上の割合で、「そんなん言われないとわからないですよ」というものがあった。そのたびに「自分の常識=他人にも常識、という図式を押し付けるとは、理不尽だなぁ」と思ったものである。(もちろん思っただけであって、臆病かつ従順な筆者はこういう感情を決して態度には出さないが)


そんなわけで、比較的早い段階から筆者は自分の中ではこの単語をタブーにした。
研究室の古参組に数えられる頃には、後輩に初歩的な質問を受けることが多くなったが、そりゃ質問するなら「そんなことも知らないのか?」と小馬鹿にしてくる先輩より、多少冴えなくても丁寧に教えてくれる人に教わりたいだろう。
悪くない自分ルールだったと時々(遠い過去になりつつある)研究室での生活を振り返る。


もちろん筆者だって「そんなことも知らないのか!」と言いたくなるときはある。
でも、そんなときは一呼吸おいて考えるのだ。
そして、「いいか、これはだな・・・・」と丁寧に教えるか、「ごめん!これはこの前言ってなかったわ!俺が悪いわ!」と謝るか、「これは、君の研究に深く関連するし、知っておいた方が良いよ」と諭すように言い換えるかすると、かつて自分が味わった理不尽洗礼を、他人に味合わせる可能性を減らすことができる。